書籍・雑誌

2023年11月17日 (金)

検閲制度について考える

今回も、最近読んだ音楽関連の書籍です。

「幻のレコード 検閲と発禁の『昭和』」。音楽評論家で、特に戦前歌謡に詳しい毛利眞人氏による著作となります。彼の著書をここで取り上げるは戦前ジャズの歴史を綴った「ニッポン・スウィングタイム」、SPレコードの入門書となる「SPレコード入門〜基礎知識から史料活用まで」に続いてこれで3冊目となりますが、音楽の、特にSPレコードや日本の戦前歌謡に対する深い愛情を感じさせる内容が印象的な著作となっています。

そんな中で今回の著作も戦前の日本歌謡を取り上げた著作となるのですが、特に戦前の日本のレコードに対する検閲・発禁をテーマとした1冊となります。ご承知おきの通り、戦前の日本といえば出版法や新聞紙法、治安維持法などにより表現・出版の自由が厳しく取り締まられており、出版物は当局による検閲を受け、たびたび発禁の処理が行われていたというのは、よく知られている事実だと思います。その反省を受け、現在の日本国憲法では第21条2項により、政府による検閲が堅く禁じられています。

その検閲・発禁をテーマとした今回の著書ですが、そのため内容的には「音楽の本」というよりも、むしろ「歴史の本」という色合いが濃い1冊となっています。ただし一方、「検閲」という堅いテーマではあるものの、決して大上段に戦前の横暴な政府権力を批判的に取り上げるような内容ではなく、どちらかというと戦前に行われたレコードに対する検閲・発禁の歴史を、客観的な事実に基づいて淡々と描いている、そんな著作となっています。

そのため、あくまでも「検閲・発禁」に対する事実を追及していくこの著書では、興味深い事実を知ることが出来ます。検閲が行われた当初は、政府批判というよりも公序良俗に反するという点で、「エロ」に対する規制がまずは強く行われていた点。そして、そんな「エロ」を押し出したレコードに対する規制が、むしろ世論の側から要求されていた部分もあった点。また、著作権法がいまほど整備されていなかった当時は、ヒット曲をそのままパクったレコードが多くリリースされ、こちらもレコード会社の側からパクリのレコードに対する規制が求められていた点なども記載されており、太平洋戦争に突入した後こそ、かなり理不尽な発禁も増えてくるのですが、当初はむしろ、世論の中で検閲・発禁はレコード会社と持ちつ持たれつ的な側面があったこともうかがわせます。

またこの著書では、戦前のレコードの検閲を一手に担った小川近五郎という官吏が物語の主人公として登場してきます。ただ、この小川近五郎なる人物は大の音楽好き。健全な流行歌をレコード会社が作るように善導していく使命に燃えているという、いかにも戦前の官僚的な側面もある一方で、流行歌に対しては比較的寛容的で、特に流行歌にある程度の猥雑さがある点は仕方ないという考え方の持ち主だったようで、一部の世論よりも時として流行歌に対して寛容であったことも非常に興味深く感じました。

ただ一方では、この戦前の検閲・発禁の事実を通じて、この問題が必ずしも今の自分たちには関係ない、と言い切れない部分も強く感じました。特に流行歌が公序良俗に反する表現を用いる時に、その規制を求めるような動きは、現在でも無縁とは言い切れません。さらに「エロ」の表現に関しては、今日ではむしろ女性の人権という側面から規制をされるようなケースも少なくなく、そのような規制と表現の自由の問題は非常に難しい議論となっています。

さらに今回の著書では、戦前の検閲官、小川近五郎の物語ともなっており、彼の人柄については比較的好意的に描かれていますし、確かに、読んでいて、基本的には音楽が好きないいおじさんだったんだろうなぁ、とも感じられます。ただ一方で、一人の検閲官の人柄により、検閲の内容が左右されている点にも恐ろしさも感じました。そして、この検閲制度の持つ、一種の「主観性」もまた、検閲の大きな問題点だと感じました。

全体的に検閲や発禁制度に対する問題提起を行う、というよりも、戦前のレコードに対する検閲制度の事実を追及するという1冊だったのですが、それでも検閲制度に関して、決して過去の遺物ではなく、今の時代に通じる部分があることを感じ、いろいろと考えさせられる1冊であった点も間違いありません。どちらかというと音楽というよりも歴史の本という要素が強いだけに音楽ファンなら是非、といった感じではないのですが・・・歴史が好きな方、また戦前歌謡に興味がある方はもちろん、「表現の自由」とはなにかということをあらためて考えるにも最適な1冊だったと思います。読み応えのある良書でした。

| | コメント (0)

2023年11月14日 (火)

井上陽水の「天才」ぶりを感じる

今回は最近読んだ音楽関連の書籍の感想です。

ノンフィクション作家、辻堂真理による「最強の井上陽水 陽水伝説と富澤一誠」。ご存じ「傘がない」「夢の中へ」「リバーサイドホテル」など数多くのヒット曲を持つ、日本を代表するシンガーソングライター井上陽水と、その彼をデビュー当初から高く評価し、「俺の井上陽水」というタイトルの評論本までリリースしながら、その後、袂を分かった音楽評論家の富澤一誠。その両者を対比させつつ、井上陽水について描いた1冊です。

率直に言うと、熱心な井上陽水のファンではない私が今回の本を手に取った理由は、彼と音楽評論家富澤一誠の絡みに興味があったから。富澤一誠というと、私は彼が企画し、自らもMCとして参加していたラジオ番組「JAPANESE DREAM」を愛聴していたことがあります。この番組、日本でリリースされる全シングルを紹介した上で、リスナーの人気投票にかけるという番組。「いい曲を書いているけど売れていない」ようなミュージシャンをピックアップしようという企画で、個人的にもこの番組をきっかけに知ったミュージシャンは少なくなく、私の音楽趣味の幅を広げるひとつのきっかけとなった番組でもあります。

ただ一方、「メロディーと歌」のみを評価し、サウンド重視の曲をほとんど評価しない富澤一誠の旧態依然とした姿勢に徐々に疑問を抱きだし、同番組から徐々に興味をなくしていきました。その後も富澤一誠のメディアにのるコメントといえば、いかにも団塊の世代が言いそうな偏見たっぷりの「最近の音楽」に対するものが目立ち、日刊ゲンダイや夕刊フジのような、団塊世代のおやじ向けメディアの太鼓持ち、というイメージが強く持っています。そんな彼が井上陽水とどのような関係にあり、さらに袂を分かったのか・・・興味を持ち、この本を読んできました。

さて、そのように読みだした同書の感想ですが、「最強の井上陽水」と井上陽水を押し出したタイトルとなっていますが、内容的には井上陽水と富澤一誠の若き日の歩みが並行して描かれたもの・・・もっと言えば、むしろ富澤一誠を軸に描かれているようにすら感じました。ただ、非常におもしろかったのが若き日の富澤一誠は非常に尖っていて、世間に対して反抗的であったという事実。特に歌謡曲や演歌に対してつまらなく感じており、さらには当時あった音楽雑誌「新譜ジャーナル」のフォーク評が気に入らず、フォーク評に対する強烈な批判と、それに対して自分の評論をのせろ、と迫る手紙を送りつけたという点は、すっかり保守的になってしまった今の彼からは想像できないほどの尖りぶりで、とても興味深く感じました。

ただし、その後の井上陽水との出会いと井上陽水に対する絶賛、さらには井上陽水のブレイクから袂を分かつまでを読むと、この本で意図していたのは、井上陽水と富澤一誠の、ある意味対照的な両者の対比。もっと言ってしまうと、「天才」井上陽水を、ある意味、「凡人」である富澤一誠と対比させることによって、井上陽水の天才ぶりを際立たせている・・・そんなイメージすら受けました。

富澤一誠のことを「凡人」と言ってしまうと、怒られてしまうかもしれません。少なくとも彼は音楽評論家として確固たる地位を築いた人物であることは間違いありません。ただ、この本を読むと、井上陽水がデビュー以来、自分のスタイルをどんどんと変えて、その可能性を広げていっているのに対して、富澤一誠は、そんな井上陽水の変化を理解できず、いつまでもデビューアルバムの頃のイメージに固執し、さらには「フォークはかくあるべき」的なイメージにも固執しています。それが結果として両者が袂を分かつ原因にもつながっているのですが、今という視点から振り返ると、とかく富澤一誠の保守的な考え方が目立ち、結果として井上陽水の先見性、天才ぶりがより一層わかる記述となっていたように感じました。

もっとも、これは富澤一誠が特に「保守的で考えが堅かった」という訳ではないように思います。むしろ世間一般が井上陽水に対して感じていたイメージの、彼が代弁者であったのではないでしょうか。実際、アルバムの売上で言えば1973年にリリースされた「氷の世界」がミリオンセラーを記録したものの、その後、彼が自由にそのスタイルを変えていったアルバムは、「氷の世界」から比べると大きく売上を落としています。おそらく富澤一誠と同様、世間一般も、井上陽水の天才ぶりが当初は理解できなかったのでしょう。そういう意味でも富澤一誠の意見というのは、当時の世間一般のリスナーの意見でもあったのではないでしょうか。

この本を読んで、あらためて井上陽水のすごさを感じましたし、そしてデビュー当初の彼のアルバムをあらためて聴いてみたくもなる一冊でした。ただ、単純に広くお勧めできるか、と言われると、どちらかというと富澤一誠に焦点があたりすぎているため、純粋に井上陽水の評伝として読むのならば、他の本にあたった方がよいような印象を受けました。ある程度、井上陽水について詳しい方が、次の一冊として読むような本といった感じでしょうか。読みやすい文体で興味深く読める一冊ではありましたが。

| | コメント (0)

2023年10月10日 (火)

百花繚乱の90年代

今回は、最近読んだ音楽関連の書籍の紹介です。

「『90年代J-POPの基本』がこの100枚でわかる!」。以前、「『シティポップの基本』がこの100枚でわかる!」という本を紹介しましたが、同書を書いた音楽ライター、栗本斉による新作です。

90年代の音楽シーンというと、ミリオンセラーが連発した、売上的にはまさに日本ポップス史上の最盛期とも言われた頃。今でもあの時代を肯定的に語る人は少なくありません。ただ、じゃあリアルタイムで経験してきた身としては、あの時代のヒット曲が今より優れていたか、と言われると疑問。また、「90年代のヒット曲は今と違ってみんな歌えた」みたいな言説を目にすることもありますが、むしろあの時代は80年代以前のお茶の間に流れた歌番組が次々と終り、「最近のヒット曲は誰も知らない」と、特に上の世代にはよく言われていた時代。特にあの頃は、ビートルズ誕生以前の音楽しか聴いたことない世代がまだまだ現役であり、最新ヒット曲に対する許容度は、いまよりはるかに低かったように思います。

ただ、ミリオンセラーの連発で音楽業界全体が「バブル」とも言える活気あふれていた時代なだけに、レコード会社としては様々な音楽を「売る」余裕があったように感じます。実際、90年代の10年間を見ると、その変化はすさまじいものがあります。1990年はいわゆる「イカ天」ブームの最中で、バンドブームの最中。その後、ドラマタイアップ曲の全盛期からビーイング系、小室系の全盛期を経て、宇多田ヒカルの誕生まで、ここまでわずか10年です。さらにそんなヒットシーンの傍らには、渋谷系やヴィジュアル系のブームがあったり、HIP HOPがアンダーグラウンドシーンで徐々に注目を集めてきたりと、まさに文字通り、ポップシーンは百花繚乱の状況にありました。

本書では、そんな90年代J-POPから時代を代表する100枚を紹介した入門書的な1冊。前述の通り、様々なジャンルが花開いた時代から、わずか100枚を選ぶわけですから、かなり選盤についてはライターの苦労も感じさせます。そんな中でイカ天出身、バンドブーム、ビーイング系や小室系、渋谷系、ヴィジュアル系、HIP HOPからさらにはメロコアや2000年代につながるインディー系バンドやR&B系まで、様々なジャンルに目を配りつつ、100枚を選び出しています。

ただ、この100枚を眺めて、リアルタイムに90年代を過ごしてきた方にとっては、違和感を覚える方もいるかもしれません。例えばヒット曲を中心に考えれば、90年代の中に小室系やビーイング系の占める割合というと、イメージ的にもっと大きかったでしょうし、また、渋谷系を中心に聴いていた方、インディーロックを聴いていた方にとっても見え方は違うかもしれません。逆に言えば、90年代の音楽シーンはそれだけ多様的であったということでしょう。そのため、いろいろな意見はあるかとは思いますが、90年代という多様な音楽シーンをそれなりに包括的にとらえられていた選盤になっていたと思います。

また、そのようにして選ばれたアルバム評については、比較的シンプルで、基本的な情報を重視した内容にまとめています。確かに「考察」という意味では、独特な考察があったり、深い分析があったわけではありません。ただ、あくまでも90年代J-POPの紹介という本書の目的から考えると、比較的シンプルで、基本的な情報に留めている書き方というのはあるべき姿。変な癖のない文章なだけに、広い層が変な先入観なしにJ-POPのアルバムを知ることが出来る内容になっていました。

このようにJ-POPの入門書としては最適ですし、私も懐かしさを感じながらも読み進めることが出来たのですが・・・ただ一方で疑問点も何か所かありました。

まず肝心の100枚の選盤。これに関しては確かに人によって好き嫌いもありますし、いろいろな意見が出てくるのは仕方ないでしょう。ただ、それを差し引いてもこのアルバムは入らなければおかしいのでは?と思ったアルバムが2作あり。それが1997年のCornelius「FANTASMA」と、1999年のNUMBER GIRL「シブヤROCKTRANSFORMED状態」。「FANTASMA」では海外でも評価される、日本ロック史上指折りの名盤ですし、2000年代のロックシーンに与えた影響を考えると、NUMBER GIRLは外せません。確かに100枚のアルバムを選ぶにあたってはいろいろな考えはありますし、他にも「PRINCESS PRINCESS」(1990年)やゆらゆら帝国の「ミーのカー」(1999年)あたりも入れるべきでは?とも思ったりはするのですが、客観的に考えても、この前述の2枚については100選から外したのは疑問を感じてしまいました。

また、アルバム評についても概ね首肯できる内容であるものの、若干首をひねりたくなるような表現も散見されました。特に疑問を感じる表現は90年代後半のアルバムに多く、例えばくるりの「さよならストレンジャー」の紹介では、この頃のくるりのスタンスとしてナンバガやeastern youthに近かったのでは、と書いているのですが、少なくとも当時を知っていれば、デビューアルバムの頃のくるりを、ナンバガやeastern youthと並べるのはかなり違和感があります。SUPERCARの「スリーアウトチェンジ」でも説明文として「UKのギター・ロックにも通じる粗削りなギター・サウンド」とのみ書かれており、初期の彼らで当然言及されそうな、ジザメリやシューゲイザーからの影響には言及されていません。確かに「UKのギター・ロック」という表現でも間違いではありませんが、プロのライターの文章としてはちょっと稚拙さを感じてしまいます。

あとがきによれば、著者は1970年代生まれということ、やはり90年代でも後半になると30代近く。20代前半に比べると、シーンに対する感性が薄れ、特に若手のインディー系バンドについては、リアルタイムでは追い切れていなかったのではないでしょうか。逆に私自信は90年代終盤はまさに20代前半の頃でライブハウスに行きまくっていた時期。それだけに、特にインディーロックシーンに距離の違いが、アルバム評の違和感につながっていたようにも感じます。

そういうちょっと残念な弱点と思われる部分もありつつも、基本的には90年代という多様な音楽が登場した時代をしっかりと1冊にまとめて紹介している、入門書としては最適な1冊だったと思います。リアルタイムに90年代を経験した方には懐かしさを感じながら。当時は小室系やらビーイング系やらヒット曲しか聴いていなかった方にとっては、ヒットシーンとは別にあった90年代シーンの奥深さを感じながら、また若い世代には、今のJ-POPシーンの原点を感じながら読んでほしい1冊です。

| | コメント (0)

2023年9月 9日 (土)

著者による果敢な挑戦も行われた1冊だが

今回は、最近読んだ音楽関連の書籍の紹介です。

近代音楽史研究家、輪島裕介による笠置シヅ子の評伝「昭和ブギウギ 笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲」。今年10月からスタートするNHK朝の連続テレビ小説「ブギウギ」は、主に戦後すぐに活躍し、「ブギの女王」と言われた笠置シヅ子をモデルとした話。その影響もあり、笠置シヅ子がらみのCDや書籍が多く販売されていますが、本書もそんな時流に乗って販売された1冊です。

著者の輪島裕介は、以前も当サイトで紹介した「創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史」「踊る昭和歌謡」の著者であり、いずれの書籍も話題となり注目を集めた研究家。ともすれば「年寄りの思い込み」と「イメージ論」で支配されがちな戦前戦後の昭和歌謡を、具体的なデータに基づいた客観的な分析が高い評価を得ていますし、私もいずれの書籍も非常に読んでいて勉強となったため、今回の書籍についても手を伸ばしてみました。

本書は、基本的に笠置シヅ子の歌手としての半生を描いているのですが、同時に、彼女の音楽を多く手がけた作曲家の服部良一についても、笠置シヅ子との関係について、より多くの書面を割いて紹介、分析を行っています。特に第7章の「服部は『ブギウギ』をどう捉えていたか」については非常に力作とも言える分析になっており、ここで輪島は、服部について必ずしも一方的に絶賛しておらず、当時の流行歌を否定的にとらえていた傾向や、リズムに関しての単純な服部の見方に対して批判も加えています。ここらへんの冷静な分析は非常に興味深く読むことが出来ました。

ただ、本書は、輪島が書いたいままでの2冊に比べると、大胆な分析はちょっと控えめだったように感じます。特に彼は序章において、「挑戦したい暗黙の前提」として

「一、一九四五年の敗戦を決定的な文化的断絶とする歴史観への挑戦
二、東京中心の文化史観に対する挑戦
三、『洋楽』(≒西洋芸術音楽)受容史として近代日本音楽史を捉えることへの挑戦
四、大衆音楽をレコード(とりわけ『流行歌』)中心に捉えることへの挑戦」

を上げていますが、本書に関して言えば、いずれも中途半端に終わってしまったかな、とも感じます。それはいずれも、本書で取り上げているのが笠置シヅ子(そして、彼女が歌った曲をつくった作曲家としての服部良一)の1つの例のみにスポットをあてているため、その一例だけで、彼が挑戦したい前提を完全に崩すまでには至っていないように感じました。

もともと、このいずれの挑戦も、1つのテーマだけで余裕で本が1冊かけるだけの内容。その挑戦を行いつつ、かつ笠置シヅ子の半生を描き、さらには服部良一にまで手を伸ばした本書は、結果として正直なところ、ちょっといずれも中途半端になってしまったかな、とも感じてしまいました。

そう考えると、目からうろこが落ちたいままでの彼の2冊と比べると、ちょっと物足りなさも感じてしまったのは事実です。ただ一方、笠置シヅ子の半生という観点からすれば、それなりにまとめられており、非常に楽しく読むことが出来ました。そういう意味では、連続テレビ小説の副読本的にはピッタリとも言えるかもしれません。

そんな訳で、これから10月以降、連続テレビ小説スタートに合わせてさらに話題となりそうな笠置シヅ子。本書もそうですが、それに合わせてCDもリリースされており・・・次回は、そのCDについての紹介及び感想を予定しています!

| | コメント (0)

2023年9月 1日 (金)

ロックスターの本性が知れる1冊

本日は、最近読んだ音楽関連の書籍の紹介です。

なかなか刺激的なタイトルの新書版。「不道徳ロック講座」。音楽ライターの神舘和典による書籍。ロックミュージシャンは昔からスキャンダルとは切っても切り離せない存在です。さすがに今となってはあまり容認されなくなりつつありますが、昔はロック=不良といったイメージもあり、ロックミュージシャンはスキャンダルがあってこそ一流、くらいの見方もありました。この本は、そんなロックミュージシャンたちの過去の不道徳なエピソードをまとめたもの。「性」「薬」「酒」「貧乏」の4項目にわけて、それぞれ過去のロックスターたちの不道徳なエピソードを次々と紹介しています。

私は過去のロックの名盤をいろいろと聴いて、いわばロックやポピュラーミュージックの「お勉強」をしていますが、そのような時に読んでみる「名盤集」や「ロックの歴史」的な本には、そのようなスキャンダラスなエピソードは、軽くさわり程度は触れてきますが、基本的にはあまり記載されていません。ただ一方で、ミック・ジャガーの「性」にまつわるエピソードや、キース・リチャーズの「薬」に関するエピソードなど、「話題のネタ」になるような場合も少なくありません。そんなエピソードもやはり知ってみたいな、と思ったのが、今回、この本を手に取った理由です。

そんなこともあって、基本的には軽い気持ちで不道徳なエピソードに触れられればいいかな、と思ったのですが、これが思った以上に興味深いエピソードが並ぶ1冊となっていました。不道徳なエピソードと書いていますが、ここで取り上げられているエピソードはいずれもミュージシャンたちのプライベイトにまつわるエピソード。彼らの最も「素」の部分とも言える訳で、そんな「素」の部分のエピソードなだけに、ミュージシャンの本来の人となりに触れることが出来るような出来事が並んでいます。

例えばキース・リチャーズは薬に関するエピソードなどもあり、破天荒なイメージがあったりするのですが、恋愛に関しては意外と一途な側面があり、意外なピュアさを感じたり、また、薬物乱用がひどくなった理由として、わずか2ヶ月の息子を亡くしてしまったことがきっかけだった話では、胸がつまるような気持ちになりました。

また、エリック・クラプトンに関して、詐欺師まがいの女性の怪しげな呪術にだまされているエピソードも印象的。「現代日本ならオレオレ詐欺にだまされるケース」と書いていますが、クラプトンといえば、かつては黒人差別な発言をして問題になったり、最近では反コロナワクチンに傾倒したり(最初に射ったワクチンの副反応がかなり酷かったのがきっかけという同情すべき事情はあるのですが・・・)とどうも、あまり深く物事を考えないような、軽はずみな言動も目立ちます。一方、ピンチになった時には、たびたび、救いの手が差し伸べられるらしく、そこらへんは人柄なんだろう、と本書でも書かれています。ロック界の大レジェンドにこういう表現をするのは申し訳ないのですが、「愛すべきお馬鹿さん」といった感じなんでしょうね。

他にもユニークなエピソードがたくさんつまった本書は、まさにロックミュージシャンたちの本質的な人柄を感じさせる1冊。タイトルと言い内容と言い、ともすれば「とんでも」になりそうな内容なのですが、実際はミュージシャンたちの人となりを率直に感じられる1冊となっており、むしろロックファンならば読んでおきたい1冊とも言えるくらいの内容になっていました。

ただ、ちょっと残念だったのは、基本的にこれらのエピソードはミュージシャン個々人の自伝(もしくはそれに類するもの)からの抜粋だったということ。もちろん、それぞれ分厚い様々なミュージシャンの自伝から、不道徳なエピソードを抜粋するだけでもそれなりの作業だとは思うのですが、ただ、当時のインタビュー記事とか、もうちょっと突っ込んだリサーチもプロのライターならば、実施してほしかったかな、とは思いました。

また、基本的に取り上げられるのは60年代から、せいぜい80年代までのロックスターだったという点もちょっと残念。90年代以降も、それこそピート・ドハーティやエイミー・ワインハウスなどスキャンダルなエピソードを持ったミュージシャンたちも少なくないため、もうちょっと最近の出来事まで取り上げてほしかったな、とは思いました。

その点を差し引いても、ロックスターの本性が知れる興味深い作品。どぎついエピソードも多いので、その点は若干、読む人を選ぶ部分もあるのですが、「性」や「薬」の話が苦手・・・という方でなければ、読んでみてほしい1冊でした。

| | コメント (0)

2023年8月21日 (月)

芸術は永く、人生は短し

本日は、最近読んだ音楽関連の書籍の感想です。今年3月、惜しまれつつこの世を去った音楽家、坂本龍一。今回紹介するのは、その彼の自伝2冊です。

まずこちらはもともと2009年に刊行されてた自伝「音楽は自由にする」。逝去に合わせてあらためて彼の業績を振り返るため、今年、文庫本で再発売されました。そしてもう1冊が、この自伝に続く形で記載された1冊「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」でした。

こちらは「新潮」にて2022年7月以降連載されていた自伝。印象的な署名は、もともとベルナルド・ベルトリッチ監督の映画「シュルタリング・スカイ」に登場した台詞だそうで、2020年のがん転移後の手術後に、坂本龍一がふとつぶやいた言葉から取られたそうです。

基本的にどちらの書籍も、坂本龍一の口述筆記という形で書かれた作品。話し言葉主体ということもあって、どちらの書籍も非常に軽快な文体で、読みやすい内容になっていました。坂本龍一という人物の熱心なファンでなくとも、ある程度興味がある方であれば、難なく楽しめる内容になっており、いい意味で気軽に坂本龍一の業績をたどれる内容になっていました。

全体的に非常に素直で、赤裸々な内容まで記載されているといった印象で、「音楽は自由にする」ではYMOの結成から解散、さらに再結成に至るまでの経緯がかなりストレートに書かれています。再結成の時はかなり3人とも険悪な雰囲気だったそうで東京ドームでのライブではほとんど目を合わせなかったとか。また「ぼくはあと何回~」でもがんの告知や転移、手術などの模様がそのまま描かれています。ただ、風の噂ではかなり奔放だったという、彼の女性関係についてはさすがに最低限のことしか書かれていませんでした。ただ、大貫妙子と一時期同棲していた、という、なかなか衝撃的な告白はありましたが(笑)。

そんな感じで、非常に軽快な文体でサラッと読めるのですが一方で読み応えもある作品。坂本龍一の業績をあらためて再認識できる自伝でしたし、読みやすい内容なだけに、私みたいなアルバムを一通りチェックするものの、熱心なファンではない・・・というリスナー層にとっては、あらためて坂本龍一の仕事の広さ、その業績の深さを感じさせる書籍になっていたと思います。

あと、読んでいて感じた点としては・・・基本的にアルバム毎に、そのアルバムをつくった経緯やアルバムのコンセプトもしっかりと説明されるのですが、どのアルバムに関しても、異なるコンセプトで仕上げていている点が非常に興味深く感じました。確かに彼のアルバムは、作品毎に方向性が異なる点は気付いていましたが、そういうコンセプトで仕上げるに至った経緯が詳しく説明されると、あらためて過去のアルバムも聴いてみたくなりました。

また、「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」では、悲愴的とも感じられる書名と異なり、文体的には決して悲愴な感じはありません。最終回に至っては、ともすれば余命いくばくない時期の記載でありながらも、そういった悲観的な表現は見受けられません。もちろん、死を前にした苦闘についてはあえて自伝に記載しなかった、ということなのでしょうが、本書の最後を締めくくる一言が「Ars longa,vita brevis.(芸術は永く、人生は短し)」。数多くの彼の作品が世に残っていくということから、自分の魂は決して消えることはない・・・という、ある種の自信があったのでしょうか。

そんな自らの作品を世に残すため、という訳ではないのですが、最後の最後まで、彼がたくさんの仕事を手掛けていたワーカホリックぶりを自伝からは感じられます。がん闘病中でも自伝を読む限りだと仕事は途切れることはありません。71年という彼の人生、長寿となった今の時代では決して長生きではなかったのですが、最後の最後まで非常に濃度の高い人生だったことを感じます。ちなみに後半期には現代芸術の作品にも関与しており、ここらへん音楽以外の活動にはあまりチェックしていなかったのですが、今さらながら、彼のからんだ現代芸術の展示会も行ってみたかったな、ということを感じてしまいました。

繰り返しになりますが、坂本龍一の業績とその濃度の高い人生をあらためて触れることが出来た自伝。彼の作品をいまさらながらチェックしてみたくなるようなそんな内容でした。あらためて71歳という早すぎる最期を残念に思うのですが、一方で、十分すぎるほど充実した仕事ぶりだったんだな、ということを感じさせる自伝でした。おそらくこれからも坂本龍一の作品は聴かれ続けるのでしょう。芸術は永く、人生は短し。まさに彼のことを象徴するような言葉だな、ということを感じました。

| | コメント (0)

2023年8月19日 (土)

大衆音楽の知識量の圧巻

Title:中村とうようの「大衆音楽の真実」

音楽評論家の中村とうようが、生前に企画・編集を行ったオムニバスアルバムについて、彼の13回忌を機に復刻を行う再発企画の第2弾。前作は「ボサ・ノーヴァ」にスポットをあてた編集版「ボサ・ノーヴァ物語」がリリースされましたが、それに続く第2弾は、中村とうようの主軸ともいえる「大衆音楽」にスポットをあて、世界各地の大衆音楽をまとめた編集盤「大衆音楽の真実」。今回も3枚組というボリュームとなっています。

もともと、このオムニバスは、中村とうようが1986年に出版した書籍「大衆音楽の真実」の副読本的な立ち位置にあるアルバムで、基本的には、同書に収録された曲が並んでいます。この書籍「大衆音楽の真実」は、音楽評論家中村とうようの集大成とも言うべき1冊。世界各地の大衆音楽を網羅的に取り上げ、その成り立ちから、タイトル通り「大衆音楽」という存在の本質を探るという非常の意欲的な作品になっています。出版から35年以上も経過しているのですが、いまでも出版されており、容易に入手も可能。今回はCDを聴くにあたって、書籍の方も入手し、書籍に登場した都度、該当する曲も聴いてみるという、まさに「副読本」としてのスタイルを踏襲した聴き方をしてみました。

そんな訳で今回は同書の感想も兼ねているのですが、まず書籍の方の感想はと言えば、まさに圧巻の一言。まずポピュラー音楽の萌芽からスタートし、ブラジル、キューバ、さらには東南アジアとめぐり、シャンソンにジャズ、ソウルにロック、サンバ、サルサ、アフリカ音楽に最終的にはレゲエ、HIP HOPまで登場してきます。それぞれのジャンルに代表的なミュージシャンや楽曲もそれぞれ紹介され、作品の成り立ちや、それが大衆の支持を受けた要因なども分析。まさにその幅広さと知識量の多さには舌を巻きます。中村とうようの音楽評論家としてのすごみを感じさせる仕事ぶりといって間違いないでしょう。

同書の副読本的な役割を与えられた本書なだけに、こちらに収録されている曲もまさにバラバラ。まさに大衆音楽の多様性を感じさせる展開になっています。それこそ日本の阿呆陀羅経のような、大衆音楽の萌芽的な作品から、Disc1ではフラメンコ、カリプソ、インドの映画音楽にゴスペル、Disc2では中国の映画音楽からタンゴ、サンバ、アフリカのハイライフ、Disc3ではクロンチョン、ファド、ラグタイムなどなど。大衆音楽が持つ音楽性の幅広さとそして奥行きの深さを強く感じさせる構成となっています。

ただ一方、数多くの大衆音楽を並べて聴いてひとつ感じるのは、やはりその魅力として多くの割合を占めるのは、「歌」と「リズム」ではないか、という点でした。まず「歌」という点で言えば、例えばサンバの女王と呼ばれるカルメン・ミランダの歌う「サンバの帝王」では、その絶妙な感情に耳を奪われますし、スペインのラケル・メレによる「ベン・イ・ベン」なども、その歌声に一瞬で惹きつけられます。その感情こもった歌声に惹きつけられる曲が目立ったように感じます。

それと同時に魅力的だったのがやはり「リズム」。後のラップに通じるようなジャック・スニードの「ナンバーズ・マン」の軽快なリズムには心惹かれますし、ガーナのE・K・ニヤメによる「恋人を見つけた」のようなトライバルなリズムも非常に魅力的。やはりダイレクトに肉体の快感に結びつく、この「リズム」は、「大衆音楽」にとって重要な要素であることを実感しました。

ただ、ちょっと残念だったのは、もともと1986年にレコードでリリースされたものが1990年にCD化されて、今回、そのCDの復刻という形になるのですが、どうもCD化の過程で漏れた作品があり、書籍で紹介されている曲が収録されていないものがあった点。また、権利関係の問題か、もしくは(当時としては)容易に音源を入手可能であったという理由か、書籍の中でキーとなっているような曲が必ずしも収録されていない点も残念。また、CDのみで通して聴くと、構成としてはバラバラ。比較的、近いタイプの曲を並べて収録している感はあるのですが、大衆音楽成立の「流れ」のようなものになっていない点もちょっと残念に感じました。

そんな訳で、大衆音楽・・・というよりも、今日的にはワールドミュージックに興味がある方ならば、書籍、CDともにまずはチェックしておきたい作品。書籍の方は500ページにもわたる大ボリュームながらも、意外とあっさりと読めてしまうあたりも、そこはさすが中村とうようの文章力も感じさせます。大衆音楽の魅力に間違いなく触れることが出来る作品でした。

評価:★★★★★

・・・・・・・とまあ、本編の方では、非常に肯定的な記載にとどめているですが、実は私、中村とうようのその圧倒的な知識量には圧巻されている一方、そのポピュラー音楽に対する考え方にはかなり疑問を持っていますし、正直、彼のスタンス自体に全く共感できません。同書のネガティブな印象については、「続きを読む」以降で。

続きを読む "大衆音楽の知識量の圧巻"

| | コメント (0)

2023年7月31日 (月)

クエストラブが描くアメリカ音楽史

今日は最近読んだ、音楽関連の書籍の紹介です。

アメリカのHIP HOPグループ、THE ROOTSのクエストラブが書いた、アメリカの音楽と歴史を俯瞰した1冊、「ミュージック・イズ・ヒストリー」。クエストラブといえば、このサイトでも紹介した映画「サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)」の監督をつとめ、アカデミー賞とグラミー賞をダブル受賞したことでも話題となりました。この「サマー・オブ・ソウル」は1969年にニューヨークのハーレムで行われた音楽フェスティバル「ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァル」をおさめたもの。アメリカのブラック・コミュニティの中で行われていたイベントなだけに、今では半ば「忘れられたフェスティバル」となっていたものを映像と共に発掘し、アメリカのポピュラーミュージック史の中で忘れられていた部分にスポットをあてた映画としても大きな話題となりました。

そもそもTHE ROOTSというバンド名からして、黒人奴隷の問題を真正面から描いて社会的にセンセーションを巻き起こした、社会派ドラマのタイトルから取られているなど、ブラックコミュニティに対する歴史に造詣の深いクエストラブ。それだけに、アメリカの音楽史をまとめた1冊ということからも注目度がわかります。実際、全504ページにもわたる書籍となっておりう、ズッシリと重い1冊となっていました。

ちなみにうたい文句は「自分史とアメリカ現代史とを重ねながら音楽を語った画期的な一冊が登場。音楽が様々な社会事象と結びつき、どのように変化し広まったかを独自の文体で徹底解説!!」とかなり大々的な文句となっています。それだけに、かなり重厚なアメリカ音楽史が語られるのか・・・と思いながら読み始めると、率直な話、期待外れの感はありました。

正直なところ、ここで書かれているような重厚な歴史を語る書籍というよりも、むしろ自分の経験や音楽的趣向にアメリカ音楽史を重ね合わせて描いたエッセイ集といった印象が強い作品。1971年から現在に至るまで、その年の出来事と自分の経験を重ね合わせた結果としての音楽的な出来事を紹介し、それにまつわるエピソードや彼の考えを描いています。

全体的には比較的平易な表現を使っているため非常に読みやすく、504ページというボリュームの割にはスイスイと読み進められる内容。特にアメリカのミュージックシーンにおいて、ブラックコミュニティにいた人物からの視点により描かれている点は日本人にとっても新鮮ですし、興味深く読むことが出来ます。ただ一方、それだけに日本人にとっては少々なじみのないような出来事やあるいはミュージシャン、音楽作品も登場してくるため、その点、読みにくい部分も。また、全体的には彼の興味の赴くままに綴っているだけに、記述は体系化されておらず、率直な感想として、読みやすいけどわかりにくい、という印象を受けてしまいました。

そういう意味では、音楽史を学ぶ・・・という意気込みで読むと、かなり肩透かしをくらってしまう感のある1冊ですし、最低限のアメリカ音楽史についての知識がないとかなり読みにくい本のようにも感じます。3,000円超と値段的にもそれなりですし、そういう意味では万人にお勧めできる・・・といった感じではないかも。クエストラブのファンやアメリカ音楽史にある程度詳しい人向けかもしれません。文章的には非常に読みやすい内容なのですが。

| | コメント (0)

2023年6月16日 (金)

小山田圭吾にモヤモヤを抱えたままの人こそ読むべき1冊

今日は最近読んだ音楽関連の書籍の感想を・・・といっても、厳密には「音楽関連」とはちょっと異なるかもしれません。

2021年に行われた東京オリンピック・パラリンピックの開幕式にCorneliusこと小山田圭吾が参加するというニュースに端を発し、彼が過去に自らが行ったとする「いじめ」発言が発掘され、大炎上を起こした騒動。現在でも記憶に新しい騒動ですが、今回紹介するのは、その一件をあらためて検討して総括した、批評家・片岡大右による「小山田圭吾の『いじめ』はいかにしてつくられたのか 現代の災い『インフォデミック』を考える」。この事件については、ネットを越えて一般メディアを含めて大きく報道されたため、おそらくお茶の間レベルにまで知れ渡ってしまっています。ただ一方で、彼が実際に「いじめ」を行ったかどうか、という検証を一切行われず、一方的に彼をバッシングした記事が、ネット記事のみならず、大手メディアまでもが一緒となって煽り立てました。

個人的にはその炎上騒動についてのコメントは彼が所属するバンド、METAFIVEのCDレビューの際に記載しました。そして、今回、その騒動を取り上げた本書を読んで、あらためて小山田圭吾の「いじめ」発言を巡る背景につれて知ることが出来たのですが・・・その結果、私自身が「いじめ」発言について大きく印象が変わりました。

まず本書については、彼の「いじめ」発言をめぐる背景や、その発言がネット上で炎上し、さらには大手メディアに取り上げられ、東京五輪の仕事から降りることを強いられるのみならず、彼の音楽活動自体がストップしてしまう経緯まで、非常に丁寧に分析・検討されています。彼のいじめ発言の元となったのは「ロッキンオン・ジャパン(以下「ROJ」)」の1994年1月号の記事、さらには1995年の8月に発売された「クイック・ジャパン(以下「QJ」)」の「いじめ紀行」として題された記事でした。

「QJ」は「ROJ」の記事があったからこそ、彼がピックアップされたということは間違いないのですが、以前は私は、露悪的な悪ふざけから、小山田圭吾は「QJ」の企画に乗っかかってしまったという印象がありました。しかし本書を読むと、事はそう単純ではなく、「ROJ」の発言を、その直後から彼自身が後悔しており、その弁明として、あえて「いじめ紀行」のインタビューを受けた、という経緯がわかります。

確かに「いじめ紀行」の本文を丁寧に読むと、悪ふざけのレベルはあったものの、彼の行動は決して「犯罪」と糾弾されるレベルではありません。同書で登場する、知的障害を持っていた「沢田君」との話は、「ROJ」のインタビューの前に「月刊カドカワ」で行われたインタビューでも登場しているそうで、その記事を合わせて同書では検討されており、両者の間は友情的な関係はありこそすれ、「いじめっ子」「いじめられっ子」の関係ではなかった点が裏付けられています。

さらに彼の発言の背景として、この炎上騒動直後に、一部で90年代サブカルシーンの「鬼畜系」との関係を指摘する声がありましたが本書では、それを否定しています。むしろ「ROJ」での発言の背景は、当時はまだ「ロック=不良=カッコいい」的な概念があり、当時は「流行のオシャレ系」とみなされていたフリッパーズ・ギターの小山田圭吾を売り出すために、あえてこのような「いじめ発言」を引き出して「人格プロデュース」を行った、という点を指摘しています。

昔から、この手の「人格プロデュース」は「ROJ」の常とう手段であり、ライター側の一方的なイメージをミュージシャンに押し付ける部分は、「ROJ」が一部では熱烈に支持されるひとつの要因である一方で、ミュージシャン含めて一部では「ROJ」が大きく忌避される最大の要因でありました。まさにその「ROJ」の大きな問題点である「人格プロデュース」に小山田圭吾が絡み取られてしまった結果である、という点を本書は指摘しています。

そう考えると、私のこの炎上騒動に関する印象は、本書を読んだ結果、大きく変わりました。まず1点目に「20代後半にもなって自分の行った『いじめ』をメディアで語る行為は、やはり大きな問題だと思」うと書きました。確かに問題だとは思うのですが、とはいえ、彼が行った失言は「ROJ」でうっかり語ってしまった1件であり、その後に彼もその発言を後悔していたようです。さらに、「ROJ」で語られたいじめ行為の内容は嘘であることが他の資料からも裏付けられており、「QJ」で語られた行為は、到底、彼が主導の「いじめ」と呼べる行為ではありません。そう考えると、30年近く前の単純な失言を、ここに来て煽り立てるという行為自体を非常に疑問に感じてしまいます。

また、以前の認識では、大きな問題は「いじめ紀行」という問題のある企画を立ち上げた「QJ」側にあるように思っていました。しかし、本書で描かれた経緯を読み解くと、むしろ大きな問題は「人格プロデュース」を行った「ROJ」にあるように感じます。この件について、インタビュアーであった山崎洋一郎は簡単なコメントしか反応していません。しかし、この結果引き起こされた炎上騒動は、こんな簡単な(それも何ら具体性もない)コメントで終わらせられるものではありませんし、小山田圭吾自身に対して謝罪すべき案件だと思います。もっと言えば、ロッキング・オン社の社長である渋谷陽一も、何らかのコメントを発するべきではないでしょうか。今回の騒動に関する「ROJ」の責任は、それだけ重いように感じました。

丁寧な分析により小山田圭吾の炎上騒動に対する背景の認識を行うことが出来た本書。ただ一方でちょっと残念な部分もあります。まず本書は小山田圭吾騒動に端を発して「いじめ」についても言及しています。その中で、学校内の問題として時として単純に「いじめ」という概念に収縮してしまう問題点について指摘しています。ただ、確かにその指摘には納得感はあるものの、学校問題を取り上げているにしては取り扱いはあまりにも短く、実例も少なく、少々説得力の欠如を感じられます。

また、サブタイトルに「『インフォデミック』を考える」としています。確かに第5章においてインフォデミック、さらにはその前提としてのエコーチェンバー現象についても取り上げています。ただこの点についてもこの炎上騒動以外に具体的な言及はなく、こちらもネット上のインフォデミック自体については切り込みの浅さを感じます。「インフォデミック」については、小山田騒動の問題点の核とも言えるだけに、他の実例と比較の上に、もっと深い考察をしてほしかったな、とは思いました。

ある程度、内容的には小山田圭吾について同情的な読者層を前提としているため、今回の騒動ではじめて彼を知り、かつ悪印象を抱いたままでいる、おそらく「その他大勢」的な人たちに対して今回の新書本のメッセージが届かないのは仕方ないとはいえ残念に感じます。ただ、Corneliusの音楽が好きだけど、今回の騒動で小山田圭吾についてはモヤモヤを抱えている、という方には是非とも読んでほしい1冊だと言えるでしょう。

幸いなことにここ最近では、彼の音楽活動は以前のペースを取り戻し、今年はサマソニをはじめ各種夏フェスへの参加も予定されているほか、6月には待望のニューアルバムのリリースもアナウンスされました。フェス参加やアルバムリリースが発表されたタイミングでたびたびTwitterでのトレンドに上がるのですが、概ね反応も好意的。CorneliusでGoogle検索をかけても小山田圭吾で検索しても、あれほどの罵倒された記事はどこへ行ってしまったのか、といった感じですし、特に小山田圭吾で検索をかけると、同書著者による記事をはじめ、ファン有志の検証サイトが上位にあがっており、もし炎上騒動の後に彼について興味を持ったとしても、正しい情報にであるようになっています。所詮、あの騒動で小山田圭吾を罵倒していた人たちは、最初から彼の音楽を聴くような人ではなかったんだな、ということを実感しました。

私自身、同書を読む前は、小山田圭吾について同情的でありつつも自業自得の面は否めないという印象もあったのですが、この本を読んで、同情的な印象が強まり、自業自得という印象はさらに薄まりました。個人的には6月のアルバムも(以前と変わらず)買う予定ですし、ライブもまた足を運びたいところ。若干かかえていた彼に対するモヤモヤが、キレイに切れ去ってくれて、素直に応援できるようになった、そんな1冊でした。

| | コメント (0)

2023年5月29日 (月)

かつて社会現象になったバンドの自叙伝

今回は最近読んだ音楽関連の書籍の紹介です。

1990年に当時大流行していたテレビ番組「いかすバンド天国」への出演を機に話題となり、一時期は「たま現象」とも呼ばれる社会現象的な人気を博したバンド、たま。そのメンバーである石川浩司がたまでの活動を綴った自叙伝「『たま』という船に乗っていた」です。この本を元とした漫画がWeb上で連載され、発売されたものを以前紹介しました。もともと、元となる本書は書籍の形でリリースされていたものが一度は絶版。その後、石川浩司のWebサイト上にアップされていたのですが、漫画連載に合わせて掲載を取りやめていたものを、今後は逆に漫画化につられる形で書籍にて再販されたのが同書となります。

その漫画版の方がおもしろかったので、原作の方も今回購入。もちろん、内容の方は漫画版とほぼ一緒です。ただ、石川浩司の書く文章は非常に軽快な文章。口語中心の文章なのですが、ともすればこの手の軽薄体はむしろ読みにくいケースも多いのですが、彼の文書はスラスラと読むことが出来ます。なにげに文書を書く才能も感じてしまいます。

一方で、漫画版と比べてみると、漫画版の方は非常によく出来た内容ということを感じます。特に原作の方は軽快な文体なだけに、様々な出来事が、思ったよりもサラッと書いてしまっていて、場面によっては「え、このくらいで終わり?」と思ってしまい部分は少なくありません。個人的に同書に興味を持ったのは、たまが経験してきた、80年代あたりのアンダーグラウンドシーンや、ブレイク後のバンドブーム最中の音楽シーンなどについて、裏事情も含めて、当事者としての視点を知ることが出来るかな、という興味がありました。

実際、そういう当事者ならではの記述も少なくはなかったのですが、全体的には比較的あっさりとした内容。その点はちょっと残念に感じました。ただ、その原作と比べると漫画版の方は、そこに「絵」が加わることによって、当時の雰囲気がより伝わってくる内容に。ここらへん、漫画化にあたって当時の状況などを取材したのでしょうね。何気に漫画版の方が、原作にしっかり肉付けをされており、この凝った仕事ぶりをあらためて実感できました。

ただとはいえ、石川浩司本人の書く軽快な作風の本作も魅力的。メンバーとしてバンドを楽しく演っていたんだな、ということが伝わってきます。特にたまというと、世間一般では「一発屋」というイメージが強く、特に売れなくなってからは、苦労した・・・とみられがちなのですが、この本を読むと、そんな悲壮感は全く無し。ここらへんはバンドとしてあくまでもマイペースに活動を続けてきたからでしょうし、また、本書でも書いているのですが、最後まで音楽一本でごはんが食える程度には稼いでいたみたいで、そういう意味では、本書でも書いてありますが、売れなくなってからも活動としては全く変わらなかったということを、本書の軽快な文体からも感じ取れます。

そんな訳で、このたまの歩みについて、非常におもしろく読むことができる1冊。たまというバンドを、名前程度、あるいはヒットした「さよなら人類」程度しか知らない人でも、これはこれで楽しめる1冊だったと思います。とても楽しい1冊でしたし、あらためてたまの曲についても聴いてみたくなった1冊でした。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

DVD・Blu-ray その他 アルバムレビュー(洋楽)2008年 アルバムレビュー(洋楽)2009年 アルバムレビュー(洋楽)2010年 アルバムレビュー(洋楽)2011年 アルバムレビュー(洋楽)2012年 アルバムレビュー(洋楽)2013年 アルバムレビュー(洋楽)2014年 アルバムレビュー(洋楽)2015年 アルバムレビュー(洋楽)2016年 アルバムレビュー(洋楽)2017年 アルバムレビュー(洋楽)2018年 アルバムレビュー(洋楽)2019年 アルバムレビュー(洋楽)2020年 アルバムレビュー(洋楽)2021年 アルバムレビュー(洋楽)2022年 アルバムレビュー(洋楽)2023年 アルバムレビュー(邦楽)2008年 アルバムレビュー(邦楽)2009年 アルバムレビュー(邦楽)2010年 アルバムレビュー(邦楽)2011年 アルバムレビュー(邦楽)2012年 アルバムレビュー(邦楽)2013年 アルバムレビュー(邦楽)2014年 アルバムレビュー(邦楽)2015年 アルバムレビュー(邦楽)2016年 アルバムレビュー(邦楽)2017年 アルバムレビュー(邦楽)2018年 アルバムレビュー(邦楽)2019年 アルバムレビュー(邦楽)2020年 アルバムレビュー(邦楽)2021年 アルバムレビュー(邦楽)2022年 アルバムレビュー(邦楽)2023年 ヒットチャート ヒットチャート2010年 ヒットチャート2011年 ヒットチャート2012年 ヒットチャート2013年 ヒットチャート2014年 ヒットチャート2015年 ヒットチャート2016年 ヒットチャート2017年 ヒットチャート2018年 ヒットチャート2019年 ヒットチャート2020年 ヒットチャート2021年 ヒットチャート2022年 ヒットチャート2023年 ライブレポート2011年 ライブレポート2012年 ライブレポート2013年 ライブレポート2014年 ライブレポート2015年 ライブレポート2016年 ライブレポート2017年 ライブレポート2018年 ライブレポート2019年 ライブレポート2020年 ライブレポート2021年 ライブレポート2022年 ライブレポート2023年 ライブレポート~2010年 名古屋圏フェス・イベント情報 日記・コラム・つぶやき 映画・テレビ 書籍・雑誌 音楽コラム 音楽ニュース