« カントリールーツの郷愁感あるメロが魅力のパンクバンド | トップページ | 「死」をテーマとしたコンセプチュアルな作品 »

2026年5月 3日 (日)

あの頃の電気グルーヴ

今回は最近読んだ音楽関連の書籍の紹介です。

「オールナイトロングー私にとっての電気グルーヴのオールナイトニッポンとその時代ー」。1990年代初頭に一世を風靡した、電気グルーヴの深夜ラジオ放送「オールナイトニッポン」で放送作家としてデビューし、現在も活躍している椎名基樹による著書。タイトル通り、彼が描く、初期の電気グルーヴの軌跡を追った内容となっています。この椎名氏、石野卓球の後輩で、電気グルーヴの前身でもある伝説的なグループ、人生のメンバーでもあったそうで、単なる電気グルーヴのラジオ番組を担当したスタッフ、という間柄ではなく、電気グルーヴのメンバーと長く深いつながりを持った、ある意味、電気グルーヴを語るにふさわしい一人による著作となっています。

そして、これは電気グルーヴのファンはもちろん、90年代のサブカルシーンがどういう時代だったのか、興味がある方にとっては必読とも言える非常に興味深く、そして楽しんで読める1冊となっていました。本書は、静岡時代の石野卓球、ピエール瀧にまつわるエピソードから人生の結成・解散から電気グルーヴの結成、東京進出、そして物語のメインとなる電気グルーヴの「オールナイトニッポン」の物語、そしてWIREに至る物語となっています。ここらへんの主な電気グルーヴの歩みについては、以前も映画「DENKI GROOVE THE MOIVE?」でも取り上げられたりしているため、電気のファンなら概ねなじみのある話ではないでしょうか。ただ、物語としては、彼らの後輩である椎名氏の視点から書かれており、この「後輩」という距離感から描かれる石野卓球とピエール瀧の少年から青年時代の物語は、ファンにとっても興味深く、新鮮味があるものではないでしょうか。

さらに本書を読んでいてもっとも興味深く感じたのは、前のパラグラフでも書いた通り、80年代及び90年代のサブカルチャーがどのようなシーンだったのか、どのような時代だったのか、さらにそのようなサブカルシーンの中での電気グルーヴの立ち位置はどのようなものだったのか、実際にサブカルシーンの真っただ中にいた椎名氏の視点から、具体的な体験談として描かれているという点でしょう。

この80年代、90年代サブカルについては、ちょっと前に一部で大きな話題となりました。例の東京オリンピックを巡るコーネリアス小山田圭吾の「いじめ発言」騒動です。この時、小山田圭吾が雑誌で、いじめを行ったことを告白した背景として、90年代サブカルチャーの露悪趣味について話題となり、その時代性があらためて取り上げられました。

本書では、実際にそのサブカルシーンの中にいた著者によって、その時代の空気感、そして電気グルーヴの行動と、それがサブカルシーンの中でどのような意味があったのか、ということを描き出しています。そういう意味では、小山田圭吾の騒動の時に話題となった90年代サブカルを別の視点で理解できると共に、映画で描かれた電気グルーヴの「表の歴史」に対して、本書では電気グルーヴのいわば「裏の歴史」を描いていると言えるかもしれません。

この本で感じるこの時代のサブカルチャーというのは、いわば権力や世間の常識に対して「おちょくる」という姿勢を感じます。それは、それ以前の時代、70年代に見られた、明確な政治権力に対して異を唱えるような、文字通りの「反権力」とも異なりますし、逆に、現在に見られるような権力を容易に容認したり、場合によっては自らが「権力側」にいるようにふるまうような姿勢とも異なりますし、ある種の「反権力」が行き過ぎて、「陰謀論」に陥るような現代の風潮とは異なります。私の世代に近いから特に感じるのかもしれませんが、この時代のスタンスは、「権力」「反権力」に対して、ちょうどよいスタンスのようにも感じられます。

もうひとつ本書で感じたのは、「渋谷系」や「クラブ」のような、いわば都会的で洒落たと捉えられていたサブカルチャーと、漫画、アニメのような「おたく」的なサブカルチャーが、意外と近い距離で受け入れられていたんだな、ということでした。本書でかなり意外だったのは、当時、「おたく」カルチャーのアイコン的な存在だった宅八郎と、電気グルーヴに交流があり、特にピエール瀧と一緒に深夜、ドライブをしたというエピソードはかなり意外に感じます。もっとも宅八郎自体、実際には文字通りの「おたく」ではなく、ファッションにも精通した側面を持っていたそうですが、本書でもサブカルチャーの括りで「おたくの聖地」ともいえる「まんだらけ」の話も飛び出しており、現在、ルサンチマン的な感情で、90年代はアニメ・漫画は迫害されてきたという意見が散見されますが、しかし、アニメ・漫画もおなじサブカルチャーとして受け入れられてきたという事実も知ることが出来ました。

そして、この80年代90年代のサブカルシーンに身を置きながら、当時のスタンスをほぼ維持しつつも、全くバッシングを受けない電気グルーヴのバランス感覚の良さには驚かされます。例えば前述の宅八郎は、結局この頃のスタンスを維持した結果、社会から受け入れられなくなりフェイドアウトしてしまいました。本書でも語られるサブカルシーンの中心で活躍していた香山リカは、いまやリベラル系の論客として、どちらかというと「優等生的」な言説を述べる立ち位置にかわっています。かと思えば前述の通り、小山田圭吾は90年代に残してきた「傷」によって大バッシングを受ける結果となっています。しかし、電気グルーヴは、その頃の立ち位置を変えることなく、さらには当時の言動がバッシングを受けることなく、現在まで活動を続けています。特にピエール瀧が麻薬で捕まった時、石野卓球がTwitter(当時)で取った態度は、「権力」とおちょくるという当時のサブカルのスタンスを貫き、一部メディアには叩かれたものの、ネットを含め世間全般的には概ね好意的に取られました。この電気グルーヴの絶妙なバランス感覚の良さに、彼らの「頭のよさ」と「センスのよさ」を強く感じさせられました。

なお、本書はどちらかというと椎名氏の自叙伝という体裁も強いため、最後の章についてはどちらかというと椎名氏にまつわるエピソード、身近な人物との別れがテーマとなっています。この点は電気グルーヴのファンにとっては求めるものが違うのかもしれませんが、この時代のサブカルシーンの渦中にいた人物が、比較的早くなくなっている点、特にうつ病で亡くなる方が多い点は気になりました。おそらく、世間のいろいろな事象に敏感であるというのは、同時にデリケートな性格の持ち主である、ということなのかもしれません。この最後の章もしっかりと読ませ、そしてその時代のシーンの背景がわかるような章になっていたと思います。

そんな訳で、電気グルーヴというバンドが、80年代90年代のサブカルシーンの中でどのような立ち位置だったのか、どのような活動を行っていたのか、非常によくわかる1冊。電気グルーヴのファンならば、間違いなく読むべきかと思います。個人的に、この時期のサブカルシーンについての理解がクリアになったようにも感じます。椎名氏の文体もとても読みやすい内容でしたし、文句なしにお勧めの1冊です。

|

« カントリールーツの郷愁感あるメロが魅力のパンクバンド | トップページ | 「死」をテーマとしたコンセプチュアルな作品 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« カントリールーツの郷愁感あるメロが魅力のパンクバンド | トップページ | 「死」をテーマとしたコンセプチュアルな作品 »