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2023年6月16日 (金)

小山田圭吾にモヤモヤを抱えたままの人こそ読むべき1冊

今日は最近読んだ音楽関連の書籍の感想を・・・といっても、厳密には「音楽関連」とはちょっと異なるかもしれません。

2021年に行われた東京オリンピック・パラリンピックの開幕式にCorneliusこと小山田圭吾が参加するというニュースに端を発し、彼が過去に自らが行ったとする「いじめ」発言が発掘され、大炎上を起こした騒動。現在でも記憶に新しい騒動ですが、今回紹介するのは、その一件をあらためて検討して総括した、批評家・片岡大右による「小山田圭吾の『いじめ』はいかにしてつくられたのか 現代の災い『インフォデミック』を考える」。この事件については、ネットを越えて一般メディアを含めて大きく報道されたため、おそらくお茶の間レベルにまで知れ渡ってしまっています。ただ一方で、彼が実際に「いじめ」を行ったかどうか、という検証を一切行われず、一方的に彼をバッシングした記事が、ネット記事のみならず、大手メディアまでもが一緒となって煽り立てました。

個人的にはその炎上騒動についてのコメントは彼が所属するバンド、METAFIVEのCDレビューの際に記載しました。そして、今回、その騒動を取り上げた本書を読んで、あらためて小山田圭吾の「いじめ」発言を巡る背景につれて知ることが出来たのですが・・・その結果、私自身が「いじめ」発言について大きく印象が変わりました。

まず本書については、彼の「いじめ」発言をめぐる背景や、その発言がネット上で炎上し、さらには大手メディアに取り上げられ、東京五輪の仕事から降りることを強いられるのみならず、彼の音楽活動自体がストップしてしまう経緯まで、非常に丁寧に分析・検討されています。彼のいじめ発言の元となったのは「ロッキンオン・ジャパン(以下「ROJ」)」の1994年1月号の記事、さらには1995年の8月に発売された「クイック・ジャパン(以下「QJ」)」の「いじめ紀行」として題された記事でした。

「QJ」は「ROJ」の記事があったからこそ、彼がピックアップされたということは間違いないのですが、以前は私は、露悪的な悪ふざけから、小山田圭吾は「QJ」の企画に乗っかかってしまったという印象がありました。しかし本書を読むと、事はそう単純ではなく、「ROJ」の発言を、その直後から彼自身が後悔しており、その弁明として、あえて「いじめ紀行」のインタビューを受けた、という経緯がわかります。

確かに「いじめ紀行」の本文を丁寧に読むと、悪ふざけのレベルはあったものの、彼の行動は決して「犯罪」と糾弾されるレベルではありません。同書で登場する、知的障害を持っていた「沢田君」との話は、「ROJ」のインタビューの前に「月刊カドカワ」で行われたインタビューでも登場しているそうで、その記事を合わせて同書では検討されており、両者の間は友情的な関係はありこそすれ、「いじめっ子」「いじめられっ子」の関係ではなかった点が裏付けられています。

さらに彼の発言の背景として、この炎上騒動直後に、一部で90年代サブカルシーンの「鬼畜系」との関係を指摘する声がありましたが本書では、それを否定しています。むしろ「ROJ」での発言の背景は、当時はまだ「ロック=不良=カッコいい」的な概念があり、当時は「流行のオシャレ系」とみなされていたフリッパーズ・ギターの小山田圭吾を売り出すために、あえてこのような「いじめ発言」を引き出して「人格プロデュース」を行った、という点を指摘しています。

昔から、この手の「人格プロデュース」は「ROJ」の常とう手段であり、ライター側の一方的なイメージをミュージシャンに押し付ける部分は、「ROJ」が一部では熱烈に支持されるひとつの要因である一方で、ミュージシャン含めて一部では「ROJ」が大きく忌避される最大の要因でありました。まさにその「ROJ」の大きな問題点である「人格プロデュース」に小山田圭吾が絡み取られてしまった結果である、という点を本書は指摘しています。

そう考えると、私のこの炎上騒動に関する印象は、本書を読んだ結果、大きく変わりました。まず1点目に「20代後半にもなって自分の行った『いじめ』をメディアで語る行為は、やはり大きな問題だと思」うと書きました。確かに問題だとは思うのですが、とはいえ、彼が行った失言は「ROJ」でうっかり語ってしまった1件であり、その後に彼もその発言を後悔していたようです。さらに、「ROJ」で語られたいじめ行為の内容は嘘であることが他の資料からも裏付けられており、「QJ」で語られた行為は、到底、彼が主導の「いじめ」と呼べる行為ではありません。そう考えると、30年近く前の単純な失言を、ここに来て煽り立てるという行為自体を非常に疑問に感じてしまいます。

また、以前の認識では、大きな問題は「いじめ紀行」という問題のある企画を立ち上げた「QJ」側にあるように思っていました。しかし、本書で描かれた経緯を読み解くと、むしろ大きな問題は「人格プロデュース」を行った「ROJ」にあるように感じます。この件について、インタビュアーであった山崎洋一郎は簡単なコメントしか反応していません。しかし、この結果引き起こされた炎上騒動は、こんな簡単な(それも何ら具体性もない)コメントで終わらせられるものではありませんし、小山田圭吾自身に対して謝罪すべき案件だと思います。もっと言えば、ロッキング・オン社の社長である渋谷陽一も、何らかのコメントを発するべきではないでしょうか。今回の騒動に関する「ROJ」の責任は、それだけ重いように感じました。

丁寧な分析により小山田圭吾の炎上騒動に対する背景の認識を行うことが出来た本書。ただ一方でちょっと残念な部分もあります。まず本書は小山田圭吾騒動に端を発して「いじめ」についても言及しています。その中で、学校内の問題として時として単純に「いじめ」という概念に収縮してしまう問題点について指摘しています。ただ、確かにその指摘には納得感はあるものの、学校問題を取り上げているにしては取り扱いはあまりにも短く、実例も少なく、少々説得力の欠如を感じられます。

また、サブタイトルに「『インフォデミック』を考える」としています。確かに第5章においてインフォデミック、さらにはその前提としてのエコーチェンバー現象についても取り上げています。ただこの点についてもこの炎上騒動以外に具体的な言及はなく、こちらもネット上のインフォデミック自体については切り込みの浅さを感じます。「インフォデミック」については、小山田騒動の問題点の核とも言えるだけに、他の実例と比較の上に、もっと深い考察をしてほしかったな、とは思いました。

ある程度、内容的には小山田圭吾について同情的な読者層を前提としているため、今回の騒動ではじめて彼を知り、かつ悪印象を抱いたままでいる、おそらく「その他大勢」的な人たちに対して今回の新書本のメッセージが届かないのは仕方ないとはいえ残念に感じます。ただ、Corneliusの音楽が好きだけど、今回の騒動で小山田圭吾についてはモヤモヤを抱えている、という方には是非とも読んでほしい1冊だと言えるでしょう。

幸いなことにここ最近では、彼の音楽活動は以前のペースを取り戻し、今年はサマソニをはじめ各種夏フェスへの参加も予定されているほか、6月には待望のニューアルバムのリリースもアナウンスされました。フェス参加やアルバムリリースが発表されたタイミングでたびたびTwitterでのトレンドに上がるのですが、概ね反応も好意的。CorneliusでGoogle検索をかけても小山田圭吾で検索しても、あれほどの罵倒された記事はどこへ行ってしまったのか、といった感じですし、特に小山田圭吾で検索をかけると、同書著者による記事をはじめ、ファン有志の検証サイトが上位にあがっており、もし炎上騒動の後に彼について興味を持ったとしても、正しい情報にであるようになっています。所詮、あの騒動で小山田圭吾を罵倒していた人たちは、最初から彼の音楽を聴くような人ではなかったんだな、ということを実感しました。

私自身、同書を読む前は、小山田圭吾について同情的でありつつも自業自得の面は否めないという印象もあったのですが、この本を読んで、同情的な印象が強まり、自業自得という印象はさらに薄まりました。個人的には6月のアルバムも(以前と変わらず)買う予定ですし、ライブもまた足を運びたいところ。若干かかえていた彼に対するモヤモヤが、キレイに切れ去ってくれて、素直に応援できるようになった、そんな1冊でした。

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