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2021年11月21日 (日)

隔靴掻痒な1冊

本日は、最近読んだ音楽関連の書籍の紹介です。

昨年、覚せい剤保持でつかまり活動休止となったものの、今年10月にアルバム「宜候」で活動を再開した槇原敬之。本作は、そのアルバムリリースと同時に発売された、彼の活動を追ったノンフィクション作品。音楽評論家の小貫信昭による著作となります。

デビュー前夜からアルバム「宜候」リリースに至るまでの彼の活動を、彼が書いた楽曲に沿って追いかけた構成になっており、各章、その時々の彼の活動の「キー」となるような曲のタイトルが付されており、その曲を含めて、その時期を象徴するような曲の歌詞も収録されています。曲自体はもちろんのこと、歌詞も重要なキーワードとなるのは槇原敬之らしいといった感じも受けます。

この中でやはり非常に興味深かったのはデビューから、彼の初期の活動の推移。ちょうど私が中学生の頃から高校、大学に至るまでの槇原敬之の活動でしょう。断片的には聴いたことある話だったのですが、彼のデビュー前からデビューに至る話は非常に興味深く楽しめました。リアルタイムで彼のブレイク直後を知っている身としては、あの頃の槇原敬之といえば、まさに「そこらへんにいる浪人生」を地で行くような風貌で、その普通すぎるいで立ちが印象に残っていました。

ただこのノンフィクションを読むと、希代のメロディーメイカーとしての彼の才能はもちろんのこと、音楽に関する情熱やその行動力についても、デビューに至るまでのその活動は、やはり常人とは異なる部分を感じさせます。やはりミュージシャンとして成功をおさめる人というのは、風貌がどんな「普通」であろうと、常人とは異質な部分があるんだな、ということをあらためて感じました。

また、デビュー後の彼の活動については、私が中学生から大学生までリアルタイムで追っていったのですが、その当時は私自身、ポピュラーミュージックに対する知識が乏しく、なぜ彼がこのような曲を作るのか、その意味するところがわからなかったことが多々ありました。しかしこの本で、当時感じていた疑問の「答え合わせ」が出来たように思います。特に印象深かったのが、異質で、リリース当初はファンとして少々戸惑いも感じてしまった1996年の、彼の全英語詞のアルバム「Ver.1.0E LOVE LETTER FROM THE DIGITAL COWBOY」に関するエピソード。洋楽を聴いていて「ラップやヒップホップが全盛になりつつあった。メロディーというものが、すぽっと消えてしまった気がした。」という危機感から作成されたアルバムだったそうです。ただ、当時、日本ではまだまだHIP HOPがほとんど浸透していないような状況でしたし、そんな中でこういうアルバムがファンの間で若干戸惑いを持って受け入れられたのは仕方なかったのかな、という感じもします。ある意味、少々「時代を先取りしすぎた」感のあるアルバムだったのでしょう。

そんな特に前半に関しては非常に興味深く読むことが出来た本書でしたが、正直言うと、最後まで読むとタイトルのとおり、隔靴掻痒、つまり槇原敬之に関して特に知りたいことがほとんど触れられておらず、かなりもどかしい思いをした著作になっていました。

槇原敬之に関して知りたいこと・・・というとある程度想像はつくかと思います。そう、彼が「同性愛者」だという事実と、なぜ2度にわたり覚せい剤の使用という犯罪を犯してしまったか、という事実。どちらも彼の活動に大きな影響を与えている点だと思います。どちらも軽くは触れられているのですが、残念ながらほとんどスルーしてしまっており、深く触れられていません。

もちろん「同性愛者」であるという点は、あくまでも彼のプライベイトな部分であり、第三者である著者が、本人が語りたいかどうかという意思を無視して安易に語ることは出来ない素材でしょう。そういう意味では仕方なかったのかもしれません。一方、覚せい剤の件については、やはり活動を再開するにあたって、しっかりと語られるべき話だと思いますし、著作の中でほとんどなかったかのように(特に2回目については)さらっと書いているだけの構成についてはかなり疑問です。特に1回目の逮捕以降、「ライフソング」という、本書いわく「仏教の思想に影響を受けた」のような即物的な価値観にとらわれない、本質的に大切なものを語るような曲を数多く書きながら、なぜ本人は「覚せい剤」というもっとも即物的な快楽におぼれたのか・・・この彼の「行動」と「楽曲」の大きな矛盾について全く触れていないというのは、「評論」としては完全に片手落ちと言えるでしょう。

もっとも、「ぴあ」という音楽業界ど真ん中の会社から発行された「音楽評論家」という音楽業界のど真ん中で飯を食っている人の著作としては、覚せい剤犯罪という話にもなかなか突っ込めなかったのでしょう。ただ、本当は活動再開の第1弾の「禊」として、語ってもらわなくてはいけないこの段階ですら、この犯罪についてほとんど突っ込めなかったとしたら、もうそれは「評論」家とは言えないのでは?

そして残念ながら槇原敬之の言葉の中でも非常に気になる部分がありました。それは2度目の逮捕を受けた時の心境として「その当時はもうすでに薬もぜんぜんやっていなかったし、そのなかでの逮捕となったので、自分の心が自分のことをいちばんわかっていた」という一文。でも、覚せい剤でつかまった人って、大抵「自分のことはよくわかっている。もうやめられる」って言うんですよね。彼の場合、1回目から2回目までスパンがあるだけに「中毒」ではないと思うのですが、ただ、1回目の逮捕ならともかく、2回目の逮捕でこういう心持ってかなり危険で、若干「本当に反省しているの?」とすら思ったりしています。ファンとしては非常に残念なのですが、この発言からすると、3回目があっても不思議ではないかも・・・と感じてすらしまいました。

前半については非常に興味深く楽しめた部分はありつつも、ある程度予想はしていたとはいえ、かゆいところに手が届いていない、非常にもどかしさを感じる1冊でした。ただ、槇原敬之の気になる部分について深く突っ込むためには、音楽業界とは直接関係のないノンフィクションライターが、例えば文春あたりの音楽業界とはちょっと離れた出版社で書くしかないんだろうなぁ。正直、槇原敬之のその音楽活動を駆り立てるような本質の部分ももっと知りたかった・・・そう感じてしまった著作でした。

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