タイトルに偽りあり?
今回は最近読んだ音楽関連の書籍の紹介です。ご存じNONA REEVESのボーカルとして活躍し、最近では「マイケル・ジャクソン」に関する一連の書籍で、文筆業でも活躍している西寺郷太氏による作品「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」を読んでみました。
ご存じ1985年にアメリカにおいて、アフリカの飢餓と貧困を解消する目的で発売されたチャリティー・シングル。アメリカだけで750万枚を売り上げ、大ヒットを記録しました。それの呪いって何?とタイトルだけで惹かれる1冊なのですが・・・はっきりいってしまえば、タイトルになっている「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」については、本作の中であまり書かれていません。
基本的に第1章は「ウィ・アー・ザ・ワールド」に連なるアメリカンポップスの歴史がさらっと書かれ、続く第2章では、「ウィ・アー・ザ・ワールド」が生まれた80年代のミュージックシーンについて書かれています。おそらく作者の筆がもっとものっていたのが第3章と第4章。「ウィ・アー・ザ・ワールド」の作成秘話や、それに伴うエピソードが詳しく書かれている章で、彼の80年代ポップス、「ウィ・アー・ザ・ワールド」に対する愛情も伝わってきます。
で、第5章でようやく「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」に関する説明がはじまるのですが・・・正直言ってしまって、かなり看板倒れな内容だったと思います。ネタばれになってしまいますが「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」とは、「ウィ・アー・ザ・ワールド」に参加したミュージシャンが、この曲への参加後、人気が凋落してしまっている、ということ。その事実がチャートのデータに基づいて淡々と述べられています。
でも、この本での「分析」はそれでお終い。おそらく読み終わった後、「え?それだけ??」と思ってしまうでしょう。人気が落ちたという事実だけ述べられており、その原因についてほとんど分析がされていません。
これは完全に私の憶測なのですが、要するに「ウィ・アー・ザ・ワールド」に参加したミュージシャンは80年代を代表するようなミュージシャンたち。でも、80年代から90年代にかけて音楽シーンの中に大きな構造変革が起こり、大量生産大量消費的な曲が正義だった80年代から、グランジなどが典型的ですが若者の本音を代弁したような、大量消費社会ではつかみきれないニーズに対応したミュージシャンに人気がシフトしたように思います。だからこそ、「ウィ・アー・ザ・ワールド」に参加した大量生産大量消費的なミュージシャンは一気に勢いが落ちたのでは・・・そう感じました。
この憶測が正しいかどうかはわかりません。ただ「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」をテーマにするのなら、もっとその理由について突っ込んで分析してほしかったな、ということを感じます。この分析不足はほかでも感じられ、例えば第4章、「ウィ・アー・ザ・ワールド」に参加していながらも、ジャケットに写った全体写真に参加していないミュージシャンが2人いる、という事実。これをみつけて写っていないミュージシャンを探し出したのはさすがですが、そこでお終い。リードシンガーでありながらも、ソロがもらえなかったシンガーが全体写真撮影を前にスタジオを去ってしまった、と分析しているのですが、残念ながらそれに関する裏付けがないため、単なる彼の印象論で終わってしまっています。
ほかにも、第3章の「ウィ・アー・ザ・ワールド」のレコーディング風景を描いたパートにしても、これって、今でも入手可能な「ウィ・アー・ザ・ワールド」のドキュメンタリーを見ればいいだけじゃない?と思ってしまったり、全体的には突っ込み不足の浅さを感じ、西寺郷太氏のコラム、というレベルを脱していませんでした。正直なところ、アメリカンポップの歴史や「ウィ・アー・ザ・ワールド」のレコーディング風景の描写よりも、タイトルになっている「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」について、もっと分析して突っ込んでほしかったな。それだけで十分1冊書けそうなんですが。ちょっと厳しい意見になってしまいましたが、以前読んだ彼の「マイケル・ジャクソン」に関する本がおもしろく、分析も非常によくできていただけに残念に感じます。1冊読んで、「え?落ちは??」と感じてしまった作品でした。
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