日本の「うた」の歴史
音楽に関する本の紹介、ということで、今回、日本において商業音楽が成立する以前の「うた」に関して書かれた2冊の新書本を読みました。
まずアメリカ出身の研究家、ジェラルド・グローマー氏によって書かれた「瞽女うた」(岩波新書)。瞽女とは、江戸時代に新潟や北陸地方を中心に活動していた盲目の女芸人のこと。武家に入って三味線の手ほどきとしたり、街中で中流階級の町人の「先生」をして生計をたてていた方もいたそうですが、多くは農村を回り、村々で芸を披露して生計をたてていたそうです。昭和30年代あたりまで数名の瞽女が活動していたそうですが、現在はほとんど絶えてしまった芸術文化ということです。
この本では瞽女とはどういう職業だったか、その成り立ちや瞽女を支えた社会、また彼女たちが歌っていた歌の内容まで、資料等を基にして丁寧に分析した一冊。瞽女を巡る歴史書としての側面もある一方、彼女たちが歌っていた楽曲の紹介では、楽譜も提示し音楽的な分析も行われているなど、多面的に瞽女という文化について紹介しています。
もう一冊が詩人、佐々木幹郎氏の書いた「東北を聴く-民謡の原点を訪ねて」(岩波新書)という新書本。こちらは著者が、津軽三味線の二代目高橋竹山と共に、東日本大震災の後の東北各地を巡ったエッセイ的な内容。その土地土地での民謡と人々との暮らしのむすびつき、そしてそれを通じての歌の力について書かれた本。民謡のルーツなどの記載もありますが、「瞽女うた」に比べると学術的な側面はあまり強くありません。
この2冊、どちらも日本に古くからある「うた」について書かれた本ですが、その「うた」の意味するところに違いがあるように感じました。「東北を聴く」で歌われていた「うた」はその土地に根付いた歌。本の中でも「ワークソング」という表現があるように、庶民が辛い仕事の中で、自分たちを鼓舞するために歌われた歌で、歌詞にもその土地や彼らの仕事と密接にリンクした表現が多く含まれています。この「民謡=ワークソング」という指摘、民謡を伝統芸能的にしかとらえていなかった私にとっては、ちょっと新鮮な表現でした。
一方、瞽女によって歌われる歌は、この本を読むと一種のエンタテイメントのように感じます。瞽女の出身地により歌われる曲に違いはあるのですが、観客のリクエストに応じた幅広いレパートリーが必要とされたという記述があり、土着の歌である民謡とは異なるエンタテイメント性を見てとれます。もちろん、東北民謡=土着のワークソング、瞽女うた=エンタテイメントという括りはそう単純に割り切れるものでもないとは思いますが、ともすれば東北民謡も瞽女うたも「日本の民俗芸能」みたいなくくりの中で同一視されそうな文化ですが、この2冊を読む限り、背景となる文化に違いがあることが感じられました。そういう意味でも、日本固有の音楽文化の奥深さ、幅広さを感じることが出来た2冊でした。
「瞽女うた」を読んでもうひとつおもしろいと感じたのが、瞽女という文化が、江戸時代以前の近代社会において、盲人に対する一種の福祉的な効果を持っていた点でした。瞽女の宿泊費用などが公費で賄われていたり、芸術を規制した倹約令の対象外とされたり、現代の福祉の萌芽ともなっていた点、とても興味深く読むことが出来ました。ちなみに本書では指摘がありませんが、アメリカの戦前のブルースミュージシャンにもBlind Lemon Jeffersonをはじめ目が見えないミュージシャンが珍しくありませんが、古今東西問わず、目の見えない方が生計をたてる手段として音楽が選ばれていたという事実にもおもしろさを感じました。
「東北を聴く」に関しては、民謡もさることながら東日本大震災の後、力強く生きていく東北の方々の姿が非常に印象に残りました。ただ一方ちょっと残念だったのが、ここで紹介されている民謡について楽譜等の記載がなく、どんな音楽なのかいまひとつわからなかった点。及びこの本を読んで東北民謡に興味を持っても、じゃあどんなCDを聴けばいいのか、その紹介がなかった点は非常に残念です。まあ、確かにYou Tubeで検索して簡単に聴けるといえば聴けるのですが・・・。
そんな訳で、日本音楽文化の奥深さを知ることが出来た2冊。これを機に、日本の民謡もいろいろ聴いてみたいなぁ、そう感じさせてくれた本でした。
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