それでも夜は明ける
ちょっと前の話なのですが、一見するとなにげない経済ニュースなのに、とても不気味さを感じさせたニュースがありました。テレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」の中の特集で、ミャンマーに進出する日本企業を支援するコンサルの話が取り上げられていたのですが、そのコンサルの説明会の中で、ミャンマーの人件費の話が取り上げられ、参加した日本企業への売り文句として、人件費が中国の4分の1であるという事実が、人型のグラフを用いて説明されていました。
もちろんコンサルに中国人やミャンマー人への差別的な意図は全くありません。ミャンマーの人件費が安いという事実を淡々と説明したにすぎません。しかし、そこには「人件費」の向こうに生きている人間がいるという事実がまったく無視されています。「人件費」という数字だけをみつめて、その「数字」をカットすることだけを考えている彼らの模様を映したニュースに、非常に不気味なものを感じました。
アカデミー賞作品賞を受賞して日本でも一躍話題となった映画「それでも夜は明ける」を、見ました。自由黒人であった主人公が(この北部での自由黒人という制度自体、この映画ではじめて知ったのですが)南部に誘拐され奴隷にさせられるも、奇跡的に救出される実話を描いた作品。監督はイギリスの黒人映画監督、スティーヴ・マックイーンで、黒人の映画監督の作品としてはじめてアカデミー作品賞を授賞したことでも話題となりました。
そして、私が冒頭に取り上げたニュースは、まさにこの映画を見ているうちに思い出したニュースでした。
この映画、独特のタッチで描かれた映画で、物語は非常に淡々とすすみます。説明は最低限のみ。クライマックスも淡々と進み、物語の中でキーポイント となるようなシーンも、必要以上に盛り上げることなく、あっさりと流れていきます。ただ、それだけにひとつひとつのシーンが心にひっかかり、見終わった 後、そのシーンの意味を深く考えさせられる映画になっています。
そんな淡々としたつくりだからこそ、この映画はまるで黒人奴隷をリアルに描いたドキュメンタリーのように感じられました。奴隷についての描写はとてもリアリティあふれた内容になっており、鞭打ちなどの残酷な描写もそのまま描かれ、とても重い内容になっています。自由黒人の 誘拐、奴隷、そして解放というひとつの物語はあるものの、主軸はあくまでも黒人奴隷の描写であり、観客にとって身近な存在に感じさせるためと、終わった時に映画らしいちょっとしたカタルシスを与えるためにこの主人公を設定しただけ、というようにも感じました。
そしてそんなある種のドキュメ ンタリーのような描写だからこそ、この映画のテーマ性が私たちにとっても決して無関係ではない身近なもののように感じました。だからこそ私はこの映画を見て冒頭に書いたニュースを思い出しました。今のグローバル化社会の中、私たち日本の企業も、単なる安い人件費を求めて世界に出て行っています。でも、それって結局、安い人件費のために黒人を奴隷として利用したこの時代の人々と何が違うのでしょうか?
また黒人に対するレイシズムという点でも同様です。残念ながら今の日本でも、ヘイトスピーチという形で特に在日朝鮮人に対する、聴く耳をふさぎたくなるよ うな罵倒を行うデモが平然と行われています。それは日本だけに限らず、世界中で同じような民族差別は今なお行われています。そういう現状に対して、この映画の世界が、昔のアメリカの出来事だ、と他人事でいられるでしょうか?
さて、今回、この映画をあえてこのサイトでも取り上げたのは、映画に深い感銘を受けた点もあるのですが、それ以上にこの映画における音楽の使われ方がとても印象的だったことがあります。
この映画の中で音楽は本当に最小限にしか使われていません。場面を必要以上に盛り上げるようなBGMも一切ありません。しかし、数少ない音楽のシーンでは、実に効果的に、そして印象的に音楽という素材が使われています。
途中、綿花をつむ労働を行うシーンでは、黒人奴隷が労働歌を歌っているのですが、いわゆるコールアンドレスポンスの形式となっており、その後の黒人音楽へと つながっていく原点が描かれています。そしてなにより印象的だったのが、いままでヴァイオリンをつかって西洋音楽を奏でていた主人公が、白人音楽の象徴ともいえるヴァイオリ ンを壊し、さらに理不尽な理由で白人に殺された奴隷の葬式の中で、おそらくはじめて、自ら進んで黒人霊歌を口ずさむシーン。ブルースやゴスペル、ソウルやHIP HOP、あるいはロックのルーツが誕生する瞬間を、この映画では見事に描いていました。
そして、おそらく偶然なのですが、先日、ちょうど読んだのが、そんなブラックミュージックの誕生の歴史を描いた新書。
ウェルズ恵子著による「魂をゆさぶる歌に出会う」。黒人音楽が誕生する歴史的背景を描いた本。「ジュニア新書」ということで、基本的には中高生あたりをターゲットとした本なのですが、それだけにエッセンスをシンプルに描いていて、非常にわかりやすく、初心者にも興味が描きやすい内容になっています。
この本では特にマイケル・ジャクソンの歌と黒人文化との強いつながりについても描いており、ともすれば商業主義的と黒人音楽のファンからは批判されがちだったマイケルの歌も、実は奴隷制度から続くアメリカ黒人の歴史と密接にかかわりがあるという指摘には、とても興味深く読むことが出来ます。
ゴスペルやブルースなどの誕生の背景や、独特の物語性を持つ黒人の書く歌詞の世界の理由なども描かれており、ちょうど「それでも夜が明ける」にも登場する労働歌や黒人霊歌についての説明もされています。「それでも夜が明ける」に描かれた世界と、私たちが今聴いているゴスペルやブルース、さらにはそれに続くソウルやHIP HOPなどとをつなぐ一冊としては、「ジュニア新書」という枠組み抜きにして、音楽ファンならとても興味深く楽しめる本になっていました。
そんな訳で、映画「それでも夜は明ける」、正直最初そのあまりにも重そうな内容に興味はあったものの見るかどうか躊躇したのですが、しかし、見終わった後は、本当に見てよかったと心からいえる素晴らしい映画でした。心に深く突き刺さり、そして考えさせられる内容でした。
そしてこの映画、決してアメリカの昔のお話という形で矮小化すべき内容ではありません。今の日本でもこれと似たような状況は間違いなく見受けられるのです。明日、私たちが被害者になる可能性もあれば、加害者になる可能性もあることを忘れてはいけないと思います。今の私たちにも無関係では全くない、そんな映画でした。
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コメント
宇多丸さんがラジオで同じことおっしゃられていました
文化の力で何か少しでも変えられたら良いのですが.
投稿: one piece | 2014年4月 6日 (日) 19時15分
>one pieceさん
そうですよね。こういう映画とか、音楽とかの力で、世の中が少しでもよい方向に向かえばと思います。特に昨今、この手のレイテストが日本でも話題に上るようになっただけに・・・。
投稿: ゆういち | 2014年4月14日 (月) 00時35分