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2008年8月29日 (金)

日本語ロックの世界を切り開く

日本語でロックをする、70年代には、その是か非かで、論争すら起こったこの議題ですが、2000年代を生きる私たちは、日本語でロックする、というのを当たり前のものと捉えて音楽を聴いています。

しかし、そんな中、日本語でロックをする意味をあらためて問い直しているバンドが、90年代あたりから増加しているように憶えます。例えば、そのひとつの形として、「歌謡ロック」というスタイルを確立しているのがクレイジーケンバンドでしょうか。そして、もうひとつ、エモコアというジャンルにおいて、あくまでも日本語で歌を綴ることにこだわっているバンドが、今日紹介するeastern youthです。

今回取り上げるアルバムは、そんな彼らが2枚同時に発売したベストアルバム。

タイトルはそれぞれ、発表する時期にあわせて

「1996-2001」

1996-2001

そして

「2001-2006」

2001-2006

の2枚です。

この2枚のベストで、eastern youthというバンドを知ることが出来るわけですが、彼らの歌詞の中には、英語はもちろんのこと、カタカナ英語も皆無。徹底的に日本語にこだわった歌詞に、どこか哀愁のあるハードコアのサウンドをのせてきています。

ただ、日本語といっても、彼らの表現は、和語というよりも、むしろ漢詩的な表現が多く、言葉の使い方には和風のやわらかさというよりも、むしろ漢語的な鋭さ、堅さを感じます。

しかし一方で、彼らの描く歌詞の描写は、郷愁が漂い、詩的。「青すぎる空」「浮雲」「秋風と野郎達」のように、歌詞の世界を描くのに、その風景や空気感、気候などを織り込むことによって、より具体性を持たせようとしています。

また、今回、この2枚のアルバムを続けて聴けば、「2001-2006」の作品の歌詞が、「1996-2001」に比べると、非常にわかりやすくなっていることに気がつくでしょう。

「1996-2001」の頃の作品が、文学的で、ある種表現が難解。具体的な主張を読み解くより先に、雰囲気を楽しむような作品が多いのに対して、「2001-2006」の作品は、歌詞が具体的になり、表現も容易に。主張もわかりやすくなっています。

このわかりやすさゆえに、一時期、ポップになった、といった主張が聞かれたことがあったように記憶します。確かに、ここらへんの方向性は、賛否わかれそうな感じもします。ただ、あくまでも日本語にこだわるスタイルと、現実を踏みしめて、次の一歩を進みだそうという彼らの主張は、どちらのアルバムでも共通しており、根っこの部分はかわっていないんだなぁ、ということは、歌詞を読み解けば容易に理解できるかと思います。

そんな日本語ロックの可能性を切り開いていく彼ら。多くのミュージシャンからもリスペクトを集めているのは当然といえるでしょう。

ただ、その上で少々気になったのが、バンドサウンドが少々ワンパターン気味ではないか、という点。曲によって緩急をつけたり、他のジャンルの音を取り入れたりすることなく、ひたすら轟音のハードコア路線を突き進んでいます。

まあ、この愚直なまでのハードコアサウンドに対する信念も、彼ららしいといえば彼ららしいのですが、ここ最近、人気が頭打ち気味なのは、ここらへんに理由があるのかなぁ、とも思ったり思わなかったり。

もっともその点を差し引いても、このアルバムから伝わってくる情熱、パワーは素晴しいものがあります。まさにこれぞ日本語のロックといえる彼らの世界を、この2枚のベストで、是非体感してみてください。

評価:★★★★★

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